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執筆者の写真Akira Sugawara

父の偉大さ


 突然ですが、僕が小さい時にイメージしていた父の姿は自由人、適当、せっかちといった感じです。どんな父親ですかと質問されていれば、幼き僕はおそらくそう答えていたと思います。でももう一つ言うならば友達がいっぱいと言ったかもしれない。いろんなとこにいろんな職業の友達を持っていました。話を聞いていれば、「○○に友達いるから聞いてみるよ」とか「○○やってる友達いるから頼んでみるよ」などとあちこちで友人の話が出てくる。当時の自分は便利だなぁとしか思っていませんでした。

母も、

「ほんと友達多いよね」

と言っていた。もう一つよく言っていたのが、

「あの人の周りには自然と人が寄ってくる。口は悪いけど、嫌いになる人はいない」

である。そんな言葉でも適当に話を流していました。

 父のとる行動には当時は疑問に思うことが多かった。友達とのお酒の場なのに、お代は全部父が払ったとか、困ってたからお金を貸したとか、頼まれたからしてあげたとか、話せばきりがないが、それ大丈夫なの?と思わせる行動が多かった。

 前の記事でも言いましたが、僕が大切にしていることは愛情と心のつながりです。これについて考え始めたのが、千葉にいるときです。そのきっかけがたまたま都内で両親と父の知人たちとお酒を飲む機会がありました。お酒がはいっているし、息子の僕がいる状態だったからかもしれませんが、その知人さん方はやたら父を褒めるんです。君の父はこんな人なんだぞ!って。息子の僕がいるからそんなこと言っているんだと思いながらも、話してくださってる話が心に刺さるんです。父のエピソードなんて、ただ毎日顔を合わせているだけじゃわからないし、深く知ろうとも思っていませんでした。20歳になって知った父の姿でした。ただただ純粋に、親父ってこんなにかっこよかったんだと。

 その後、千葉県のお店でいろんなことを経験して、考えて、自分の大切にするものに気づくことができました。

そしてまた、父と知人方とお話しする機会があり、またいろんなエピソードを聞きました。そのとき父が大切にしているものに気づきました。父は口では言いませんが、きっと僕が出した答えと同じものです。そして、これまで聞いた父の話や幼き頃から見てきた父の行動、聞いてきた父の言動の意味が理解できました。今ある父の周りの環境も、父が長年積み上げてきたものなのだと。父はもしかしたら意識してやっているわけではないかもしれない。でも父の行動は相手の心に刺さるものばかりです。目先の利益は関係なく、ただ心でぶつかっていました。

 そんな父と一緒に暮らしてたからか、直接教えてもらわなくても、その考えが伝わっていたのかもしれないです。

まさか自分が言うとは思いませんでしたが、

今一番尊敬する人は父です。


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