美容師として、もっと世界を知りたくて、日本を飛び出したわけですが、こっちのお店で勉強する際、基本初めは、見るという動作から始まります。今まで見たことない髪質、骨格、技術に出会うわけですので、当然初めから出来るわけがありません。だからこそ、初めはただ見るということしか出来ないです。ですが、僕はこれでもかというくらい見ます。凝視、ガン見をしています。時間を忘れ、ひたすら見ています。何もお客様に自分について説明していなかったとした、不審者と言われていても仕方がないくらいです。
よく昔の職人の世界では、見て学ぶ、学ばせるというスタイルだったと思います。年上の方のお話を聞いても、
昔は何も教えてくれなかった。質問しても答えは返ってこず、ただ見ろとしか言われなかった。
というエピソードばかりです。今は時代も変わり、教え方は変化してきているとは思います。
ですが、ただ見るだけではないです。
これってどういう目的でやったのかな?なんでそうやったのだろう?もっとこうした方が良いかな?
など常に何か考えています。何度も見て、考えることで気づくことがあります。1つ気づくと、3つのことが解決することもあります。1つのことでも、いろんな視点から見ることで、より深く考えることができます。この考えるという作業がとても大切だと思いました。
今の日本はわからなければ聞く。聞けば答えが返ってくる。そんな環境が当たり前になっています。1つの答えが分からず、質問して1つの答えが返ってくるというのは、とても楽ですが学ぶ領域がとても狭いと思いました。そして、考えるという作業を欠いています。答えを見つけることができなかったとしても、考えるということがきっとその人のためになります。考えることで、求めている答えではなくても、違う何かを得ることができるかもしれません。考えるという作業は、自由な発想を生み、1+1は2だけではなく、3にも4にもなる答えを導き出すのかもしれません。1を10に広げたり、0から1にするという創造する力にもつながっていくと思います。
前回の記事でも書きましたが、こっちは実践型です。何も練習していないのに、とりあえずやってみて!と言われることが頻繁にあります。何度もえ?!っと思いました。ですが実際にやるとなったとき、これまで何度も見てきたものが、映像として頭の中に流れました。1つ1つ各場面を迎えるたび、ス見てきたものが頭に映し出されました。
なので、自然と手が動くということがこれまで多々ありました。細かなシチュエーションから指の使い方や動き、立ち位置や視線など細かく見ていれば見ていたほど、細かな動きまで出来ました。見ると言ってもネット社会の今、写真や動画で見ることはたやすくできると思います。ですが生で見るのとでは雲泥の差がある気がします。得る情報量も違えば考える幅も違います。同じ空間にいて、その人と同じ物を見て、同じものに触れ、同じ感覚を得るからこそ、分かるものがあります。気づけることがあります。ただ見るという大切さと実際に生で見る大切さに気付くことができました。
理美容師の仕事は文字や写真、動画、知識などのデータで勤まる世界ではないと思います。
何か見て学ぶ機会があるならば、メモを書いたり、動画を撮るより、見るということに専念した方が、データではない何か違うモノを得ることができるかもしれません。