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執筆者の写真Akira Sugawara

縛りと自由


日本を出て、5ヶ月が経とうとしています。イギリスにいれるのもあと1ヶ月です。本当に早いです。まだ1カ国目なのに、今までいた世界はいかに小さかったのか、考え方が乏しかったか、感じさせられます。イギリスを出た後も、また違う世界をを感じていけたらなと思っています。

 日本を出てから、1人で行動しなければならないので、ある意味自分が思うままに行動してきました。そして思うがままに見たもの、聞いたもの、触れたものを考えてきました。なんの縛りがないからこそ、自由な発想ができ、これまで考えつかなかったことが考えついたり、新しいアイデアが生まれたりしているのかなと思います。

この環境は、とても居心地よく感じます。そして、縛りのない自由な発想にとてつもなく無限の可能性を感じます。これが1人ではなく、2人3人と周りにいたら、発想がより広がるのかな考えてしまいます。 

自由の大切さを感じているからこそ、これからは他人に対し、〇〇してはいけないとか、こういう場合はこうしなさいなどという、相手の自由を奪ってしまう発言は出来ないと思っています。それは教育の場面での話になるとは思うのですが、何か他人に物事を教える時に、上記のような言い方をしてしまうと、相手の行動や考えを縛ってしまい、マニュアル人間が育ってしまいます。そうすると自分で考えてることが乏しくなってしまうのと思います。前の記事でも書きましたが、日本人はマニュアルを作りたがります。そっちの方が、確実で正確に動かすことが出来るからです。でも、考えることをやめるということは、成長することをやめることになると思います。そして、何かを創造することは出来ないだろうなと思いました。

海外からは創造する力が日本人には足りないと言われていますね。1を100に増やすことはうまいけど、0から1にすることができないと言われています。日本のそういう環境が少なからず影響しているのかなと思いました。何かを生み出したり、創り出す発想は、人に縛られては生まれないと思います。だからこそ、自由な発想には無限の可能性があると感じました。

本当に“人“を育てたいと思うなら、完璧なロボットではなく、唯一無二の人間を育つ環境を作ってあげるべきだと思います。

僕は今後、誰かの上に立つことになったとき、そういうことに気をつけたいと思いました。


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