海外では、人々は物事をはっきり言います。思ったことをそのまま言うし、言いたいことを言います。思ってないことはもちろん言いません。だから日本人の察してくれアピールや気遣いのつもりの発言はこっちでは結構嫌がれると思います。日本人は物事をはっきり言わなかったり、遠回しに言ったりしてしまいます。自分もそうです。でも外国人からすると、はっきり正直に言ってもらわないとあなたの考え分からない。だから結局何が言いたいの?と思い、イライラしてしまうそうです。
日本では、はっきり言わなくても、相手が察してくれたり、察してもらうように行動したり発言したりします。でもそんなことは海外では通用しません。相手をイライラさせてしまうか変わり者と思われて終わりです。断ったりしたら、本当のことを言ったら、嫌と言ったら、相手が不快に思ってしまうなんてことはあまりないと思います。外国人からしたら、相手の情報を得るということにすぎないと思います。相手の考えをただ聞きたいだけなのです。嫌なものを嫌と言ったら、この人はこれが嫌なんだとしか思わないですし、嫌なものを自分に嘘ついて我慢しても、すごいとも偉いとも思ってくれません。相手が我慢していることにも気づきません。気づいたとしても、変わった人だとしか思わないと思います。
でもこのような常に人々は本音で話す世界は、偽りがないように感じます。直接言いすぎて、人を傷つけるといった新たな問題も発生しそうですが。本音ということは、相手のこと理解することが出来ます。こういうことが好き。こういうのが嫌い。こういう考えを持ってるなど。その人と普通に話しているだけで、その人の本心を知ることが出来ます。
発する言葉は本心なので、ダイレクトに心に刺さります。良いことも悪いことも。あなたのそういうところが嫌いと言われたら、そのときは傷つくかもしれませんが、相手がそういうことが嫌いということが知ることが出来るし、自分を客観視することにもつながります。その後の自分を考えたら、あまり悪いことではない気がします。むしろ相手のことも、自分のことも知ることが出来ます。逆に褒められたりしたら、直接心に刺さるので、すごく嬉しいです。こっちにいると素直に喜ぶことが出来て、心地よかったりします。直接ものを言い合うことは相手の考えを直接、理解できるということです。もちろんそういう環境では、自分と相性が悪い人だって出てくると思います。それは悪いことではないですし、そのかわり、自分と相性がいい人も見つかりやすいと思います。
日本人は察するという能力があるうえ、相手の考えをよんで、言葉を発したり、行動に移したりしていると思います。思ってることを口にしないしのに、思っていないことでも口にします。だから、相手が本当はどう思っているか正直分からないです。お互い分からないまま、表面上のやり取りをして、表面上の関係を作っている気がします。だから海外で生活していますと、日本に戻ったとき、全てが偽りの世界に見えてしまいそうで怖いです。
察するという能力は、世界を見ても、日本人がダントツだと言われています。良いことがたくさんあります。それから、接客という文化が生まれ、おもてなしという言葉も世界に広まりました。日本人が世界に誇る能力です。ですが、その能力が自分たちを苦しめているのも事実です。
自分も日本人なので、上記のようなことをしてしまいます。でもそれは、日本人の国民性であり、特徴です。体に染みついてしまっているものなので、仕方のないことだと思います。
しかし何を考えているか分からず、接するよりも、考えていることが分かって接した方がお互いに良いと思います。
言いたいことを言って、自分の考えを伝える。
日本という国はそういうことをしずらい環境ばかりということも分かっています。
そんな日本を客観視することが出来たので、自分の周りから“偽り“を少しずつなくしていこうと思いました。