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執筆者の写真Akira Sugawara

やるかやらされるか


 自らやるのか他人によってやらされるのかで、同じ行動でも大きく意味が違うと思います。

日本を1人で出て、1人で海外を周り、今現在、“THE自分の意志でやる“を実践中です。やりたいことをやっているの中で、新しく興味が出たこともたくさんあります。美容師として、日本ではさほど興味がなかったことがこっちに来て、いろんな経験をするうちに、興味が出てきたものがあります。興味が出ることは、もっと学びたい、勉強したいという想いになり、それが自分の成長に大きく関わっていきます。

 日本にいたときは、キャリアも浅かったので、言われたことをやる、別に興味がないことでもとりあえずやるといった感じでした。言い方を変えればやらされていたということになると思います。自らの意志ではなく、興味がないものをただこなしていたことになります。もちろんやらせられたとしても、自分の経験値として、得たものはたくさんあります。そこから興味を持ったこともありますし、世界が広がったのも事実です。

 ですが、自分が興味がないもの、熱が入らないもの、自分の意志で行動していないものに関しては、成長スピードも遅いですし、学ぶキャパシティーも少ないと思います。学ぶ限界値が低いような気がします。やはり自分の意志で動いたときというのは、エネルギーがすごいです、もっと学びたい、もっと知りたいという欲が、よりそのことを追及させ、結果大きく成長させることになると思います。

 学生のころなどはもちろん知らないことが多いですし、自分の意志はあいまいなところが多いので、大人がやらせて導くということが必要です。ですが社会に出て、自分の立っている位置も将来も、やりたいことも自分で考えられると思います。今すべきことも考えれると思います。

やらされることは全てダメということはないですが、他にやりたいこと、自分に必要なことがあるならば、そっちを伸ばしていく方が良い気がします。自分の意志ではない行動はあまり自分のためにはならない気がします。

 将来、過去に興味がなく避けていたことも、本当に自分に必要なものは、自然と自分の前にまた現れます。そのときの追及心が、意志がなく得た過去の産物より、大きなものを自分に与えてくれると思います。

 自分の意志はどのように生まれるかはひとそれぞれで分かりませんが、それはとてもエネルギッシュで人を大きく成長させる要素があるは事実です。

 意志や興味は自分でどうこうさせれるわけじゃないのですが、毎回ただやらされるだけではなく、時には自分自身に問いかけてみることも必要なのかもしれません。


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