ただ単に尊敬と言葉にしたら、少しお堅い感じに聞こえてしまうと思うのですが、ここで僕が言いたいのは、そういうお堅い感じではなく、人それぞれが、認め合うというイメージです。
この間バスに乗っていると、バス停ではない場所でバスが停車し、運転手が外に出ていきました。様子をうかがうと、彼は外で一服していました。日本では考えられないことですが、こっちでは似たような類はたくさんあります。僕も来た頃はビックリしていましたが、今は何とも思いません。たぶん、時間調整と彼の休憩を兼ねて行ったことだと思います。もちろん他の乗っている乗客で、文句を言う人はいません。黙って彼が戻ってくるのを待っていました。
僕がこういう状況で思ったことは、お客さんは1人の人間として運転手を見ているのかなと。
運転手も人間ですし、休みたいときもあります。喫煙者はたばこも吸いたいです。そういうことをお客さんたちは理解しているように見えます。これまであらゆるお店に行きましたが、営業中でも携帯を使いますし、休みたいときは、お客さんの隣でも休みます。大衆相手のお店だからと言われればそれまでかもしれませんが、ロンドンの高級店でも、全く見かけないわけでもないです。
日本ではまずない光景ですし、日本では認められない文化だと思います。イギリスでは日本のように、お客様が立場が上で、従業員は下という優劣がないのかもしれません。対等の立場でお互いを見ているのかもしれません。日本では、お金を出しているのだから、サービスは当たり前!というような感じだと思います。でもそういう立ち位置ですと、感謝の気持ちを持つことはあまりないのかもしれません。
こっちの人はバスから降りるとき必ず、“ありがとう“と口にします。小さい子からご老人まで全員です。思春期の学生もです。それは対等に思ってるからこそ、運転してくれてありがとうというシンプルな思いからだと思います。日本では、言う人はゼロではないですが、多くもないと思います。こっちのバスはおばあちゃんがいようが、スピードを出しますし、大きくバスは揺れ、傾き、バスの中は大変忙しいです。でも文句を言う人はいません。日本は少し揺れただけで、機嫌を損ねる人、眉間にしわを寄せる人がいると思います。それはお金を払っているんだから、しっかりサービスしろ!ということではないでしょうか。お金を払っているから、払っていないからというのは関係なく、シンプルに何かをしてもらったら、感謝の気持ちを持つことは大切だと思います。
運転手が安全をしなくていい。従業員が自由に何をしてもいいと言っているわけではないです。
ただ立場関係なく、もっと他人を1人の人間として考えたいな思いました。
このような状況で、日本とイギリスを比べたとき、少し寂しさを感じたので、ブログに書いてみました。
日本では通用するものではないですが、こういう自分の固定概念をどんどん壊していく経験は面白いです。