top of page
執筆者の写真Akira Sugawara

ロンドンにて


 先日、ロンドンに行った際、おばさんに声をかけられた。

「お兄さん、どこ出身?」

「日本です」

「日本は良い国よね。あなたのファッションもかっこいいわ。」

そう言って、僕の胸ポケットに小さな創作花をさしてくれた。こんな粋なことをしてくれるのか。とすごく嬉しい気持ちになりました。でも彼女は、続けてチャリティーの話を続けました。何かの子供に向けたチャリティー活動をしていたらしく、お金を要求してきました。

チャリティーに参加することや、お金を出すことは嫌ではありません。でも最初の会話はなんだったのだろうと疑問に思いました。最初の会話は、フリで僕にお金を出させるためのモノだったのか。感情なく、あんな言葉を口にしていたのか。それともこういう風に、チャリティーをしている人に、疑問を持つこと自体ナンセンスなのか。すこし悩んでしまいました。

僕はそのとき、小銭しかもっていなかったので、小銭だけど良いですか。と訪ねると、札はないの?とすこし顔をしかめて言ってきました。

僕もあまり断れないタイプなので、結局お金を渡しましたが、僕のお金を含め、彼女は今までにもらったであろうお金を、片手で無造作に握っていました。

本当に大切なお金であれば、もっと大切に扱ってもいいのではないか。小銭しかないけど協力しようとしてる相手に、札はないの?と言うでしょうか。少し人間性を疑ってしまいました。初めの会話もお金を出させるための作戦だとしたら、人を騙しているようなものだと思います。人の心を弄んでいることと同じだと思います。

チャリティーで一番大切なのは“心“だと思います。誰かのために何かをしたいと行動し、想いや活動を伝えて、活動を知ってもらったり、協力してもらうものだと思います。そうやって想いをつないでいくのだと思います。その想いから得たものに価値が生まれると思います。今回のは、人を心を弄んで得たものです。そんなお金に価値はないですし、誰も喜ばないと思います。本当に想いがあるなら、なんでその想いをぶつけないのだろうと思いました。想いをぶつけて、想いが返ってくる。その想いを届ける役目ではないのかなと思ってしまいます。

“心“を道具にするのは許せないです。

今回のはあまり心地の良いものではありませんでした。

 その日の帰り、僕はあるサッカーチームのスカーフを身に着けていたのですが、いきなり男が話しかけてきました。

「僕もそのチームのファンなんだ!」

僕は同じチームのファンと聞いて、嬉しくなりました。でもその後に口にしたのは、

「おなかが減ってるんだ。お金をくれないか?」

でした。

僕は、またか。と思いました。本当にお金がなくて、今にも倒れそうだったら、その感情をなぜまず始めに伝えない?しかも倒れそうというわけでもない。僕が好きなチームを道具にしないでほしい。

どうして、人の“心“を弄ぶのか。

僕はもちろん断りました。

 これまでも、ホームレスの方にお願いされて、お金や食べ物を分けたことはあります。でもそれはあまり良いことではなかったと思います。

自分が手を差し伸べることで、その人の人生が変わるのであれば、協力してあげたいです。でも、何かを得たところで、その人たちはラッキーとしか思わないでしょう。僕のことなど微塵も覚えていないと思います。自分を変えようと努力しない人にいくら手を差し伸べても、無駄だと思いました。自分のお金だって、何もせず得たお金ではありません。それを自分は何もせず、欲することは、正当にお金を得ている僕らを侮辱しています。

 甘やかすことは優しさじゃないです。何でもしてあげるのは優しさじゃないです。

 その人を思ってする行動・言動が、本当の優しさだと思いました。

自分は意味を持った行動をしていきたいです。


閲覧数:14回0件のコメント

最新記事

すべて表示
bottom of page